アート旅/旅アート


by kinoppi-cxb
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島国日本ではほとんどの場合、道を進めばそのうち海に辿りつく。海とともに生きてきた歴史も長く、ほとんどの人にとって海は身近にある存在だ。私もはじめて海を見た時の記憶はない。まったく、ない。であっても海を眼前にした時はいつも、心が揺さぶられる。ましてや大人になって、あるいは物心ついて海をはじめて見るのであれば――。

長崎県美術館で開催の「ソフィ・カル―最後のとき/最初のとき」(2016/2/6~3/21)。作品の1つ『海を見る』(2011年)は、生まれてはじめて海を見た人々の姿をとらえた映像作品だ。日本と同じく海に囲まれたイスタンブールという土地に住みながら、貧しさゆえに海をみたことがなかった人々(しかも撮影された海は、彼らの住む土地から10kmも離れていなかったという)の、はじめて海を見る瞬間が5つのスクリーンに映しだされる。流れるのは波の音だけ。彼らの発する言葉もなく、説明もない。ある人の後ろ姿――涙をぬぐっているような仕草にもみられるが、泣いているのかわからない。ある人の表情――微笑しているようにもみえるし、悲しんでいるようにもみえる。深刻な表情の男性もいる。彼らははじめての海をみて、何を思うのか。海をみているのか、それとも海と対峙する自分をみているのか、あるいは――わからない。わからないからこそ想像する、想像をめぐらす。

フランスの現代美術家、ソフィ・カル。彼女の長年のテーマである「見ること」をめぐる3つのシリーズで構成された本展。順番は前後してしまったが、『海を見る』の前に、生まれつき目の見えない人々に、彼らにとって美しいものは何かを尋ねた『盲目の人々』(1986年)、人生の途中で視力を失ってしまった人々に最後に見たものを語ってもらった『最後に見たもの』(2010年)が、それぞれ展示室別に展示されていた。

とても個人的な体験談であるが、我が家の娘は超低出生体重児(超未熟児)として生まれた。超低出生体重児は未熟児網膜症がかなり高い確率で発生する。現代の医学では、治療によって失明に至ることは多くはなくなってきたが、それでも未熟児網膜症が原因で視力や視野など目の問題や不安を抱えている人も決して少なくはない。娘のご縁で出会った早産児の会でも、お子さんの目の不安を抱くご家族にも多く出会った。身近に目の見えない人はいないが、目が見えないこと、目が見えなくなることは、遠い話には感じられず、だからこそ『盲目の人々』、『最後に見たもの』で人々が語る言葉は、深く、深く胸に浸透していった。そして、考える。目で見る、心で見る、「見ること」の行為は1つではない、と。

そして最後の作品『海を見る』にたどりつき、感情のさざ波がまたやってくる。せつないのか、哀しいのか、泣きたいのかなんなのかわからない。繰り返し波立ち、どうしようもない気持ちで、息苦しくなってしまう。だが、最後の最後の展示作品によって、水中から出てようやく空気が吸えたような、息苦しさから解放される。自らを制して制して、解き放たれたかのようにはしゃぐ姿の子どもたちの映像によって。

蛇足だが、本当に最後に展示されてある、ソフィ・カルと杉本博多の共同作をエピローグにもってきているところがまた秀逸で。作品はいわずもがなだけど、展示構成も非常に素晴らしかった。
さらに蛇足だが、会場で配布されるリーフレットも、最後の本展についての解説文まで熟読必須だ。

それにしても、観覧から2週間が経とうとするが、時おり、ふっとこの展覧会が頭をよぎり、「見ること」に再び、何度も思いをめぐらしている。こんなに長く気持ちを引きずる展覧会は久しぶりだし、まだ、しばらく長く気持ちが引きずられそうだ。



ソフィ・カル―最後のとき/最初のとき
2016/2/6~3/21
会場:長崎県美術館
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# by kinoppi-cxb | 2016-03-15 10:36 | 展覧会レビュー
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このブログの主テーマ、“アート、ときどき旅”とはまったく関係はないけれど、この写真集を読み終えた時、「今この感情を書き留めておきたい」。強くそう思った。突き動かされた、というべきか。



「この写真、本人が初めて見るときはショックを受けるかもしれないね……」。夫のその言葉を聞くまでは、私の頭の中で、やがて必ず来るその時のことなど予想だにしていなかった。意気揚々と、産まれた頃の娘の写真をアルバムに貼っていた私は、はっとしてその手を止めた。

うちの娘は、622gで誕生した。身長は30センチ。当然、自力で息をすることもできず、呼吸器のお世話にならざるおえない。いつ急変するかもしれないこの小さき命の身体には、呼吸器の他、心拍数、血液の酸素飽和度、血圧などを常に計測する管や、点滴などが何本も装着され、いわゆる“管だらけ”の状態だったが、初めてその姿を見た時不思議と私にショックはなかった。むしろ娘の命を守る“いのち綱”として、とても力強い存在に感じた。

娘が無事にNICU(新生児集中治療室)から退院して約1年半たったいまでも、だから、私は、正期産で生まれた赤ちゃんよりも、保育器に入った赤ちゃん、管がたくさんついた小さな小さな赤ちゃんの方に、「ぎゃひっ、かわいい!」と萌えてしまう。どうやら、“管フェチ”になってしまったようだ(笑)。



『NICUのちいさないのち』も、そんな小さな赤ちゃんたちをただ見たいがために買ったのだが……読み終えたときに、この写真集は、娘と私の“将来の道しるべ”となっていた。

この写真集には、NICUの赤ちゃんたちの写真とともに、この小さな命に向き合い、赤ちゃんを守る人々の言葉が添えられている。そのほとんどが、新生児医療の医師や看護師、助産師といった、医療者の方々だ。
私と同く超低出生体重児を子にもつご両親の気持ちなどは、ブログやツイッターなどで読み知りしていたが、実際に、現場にいる医療者の人たちがどのような気持ちで、新生児たちと向き合っているのか、なかなか知ることはなかった。
この写真集に綴られた、現場の人たちの言葉。親とは違う、彼らの「使命感」「想い」……。



話は戻る。私から見ると非常に可愛いのだが、実は生まれたての雛鳥のようでガリガリ、身体は管だらけの娘の誕生時の写真は、いずれこの写真を見る娘にとっては非常にショックなものだろう。でも、時期がきたら私は、包み隠さず写真を見せ、NICUに入院していた3カ月間で付けていた看護師さんとの連絡ノート、日記はすべて見せようと思っている。それでも、娘のショックを癒す何かが足りないとずっと感じていた。だって、すべての記録は、「私目線」でしかないものだから。
娘が、自分が早産児だったことをきちんと知るのは、ずいぶんと先のことだろう。小学校高学年、いや、もしかしたら中学生になってからかもしれない。そんな先のことを思い悩むのは、とても気が早すぎる。でも、私には、いつか来るその日のことを考えずにはいられない。

1日数時間の面会(うちの病院の場合は1日1回1時間だった)でしか、子どもと触れあうことのできない親に代わり、処置とは別に“育児”をおこなってくれる医師・看護師さんは、子どもにとっていわば“第二の父親・母親”だ。『NICUのちいさないのち』に言葉を綴った医療者の方々は実際に娘を治療・看病してくれた方々ではないけれど、彼らの気持ちは娘の“第二の父親・母親”の気持ちと通じるものがあるに違いないと私は思う。だからこの写真集は、娘にとっていずれ支えになると思うのだ。私に代わって、「あなたの命は、多くの人たちに助けられ、守られ、育てられてきたのだ」と娘に伝えてくれるだろう。
そして、この写真集に載っている赤ちゃんたちの姿は、娘にこうも教えてくれるだろう。「小さく生まれたのはあなただけじゃないよ。いっぱい仲間がいるんだよ」、と。



NICUのちいさないのち
新生児集中治療室からのフォトメッセージ

宮崎雅子写真
ネオネイタルケア編集室編
MCメディカ出版
1800円+税
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# by kinoppi-cxb | 2012-06-18 15:25 | メモ
初めて彼女を取材させてもらったのは、確か1997年の夏だったと思う。写真家・野村佐紀子。毎年夏にアートスペース貘で展覧会をおこない、新作を発表している。新作を発表するというのはアーティストにとって非常に肉体的にも精神的にも労力を使う、大変なことだと知っている。しかし、彼女はそれを毎年続けるうえに、毎回違う印象を与えてくれる。彼女の作品はもちろんだが、彼女の持つ無限の表現力に魅了され続けている。

3月3日に始まった今回の展覧会の会場は、アートスペース貘ではない。BAR & WHITE SPACE ONEという、初めて訪れる場所だ。バーと聞いていたので、てっきり店内の壁の空いたスペースに作品を飾っているのかと思いきや、入口側すぐの手前のスペースがギャラリーのような立派なホワイトスペースで作品はそこに展示されていた。

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事前に作品は24×20インチの巨大アナログインスタント写真(いわゆる「ポラロイド写真」)と知っていたが、インチの単位がいまいちピンとこなかった。会場に着き、展示された写真に「で、でかっ!」と驚いた。なんでも撮影したカメラは世界に3台しかないもので、約200kgの重さというオバケのようなカメラだとか。撮影するのも、現像するのも非常に時間と手間がかかるという。当たり前だ。会場には、このカメラで撮った写真作品6枚が展示されているが、撮影は半日がかりでおこなわれ、撮った写真はきっかりこの6枚だけだったという。

貴重なカメラを使っての撮影。しかも撮影は大仕事であり、さらにインスタントフィルムゆえ焼き増しできずオリジナル写真はたった1枚しか存在しないことになる。「カメラの存在は重要です。もちろん撮る時の気分は、いつもとは異なりました」と野村佐紀子。「でも何より被写体との関係性が大きく違いましたね」。被写体は、子ども。子どもは集中力がすぐに途切れてしまう生き物だが、半日続いた撮影にも関わらず、「彼も私も互いに、ずっと真剣に向き合った」と言う。

ポラロイド写真は、時が経つにつれ色が褪せていく。このオリジナル1枚のみの巨大インスタント写真もいずれ、消えゆく運命にある。訪問時、まだ現像液は乾ききってなくて、じわじわと被写体が浮かび上がっているのか、それとも逆に消えていっているのか、なんとも言い難い感じだった。写真は記録性が強く時を止めるものでもあるが、この作品に至っては進みゆく時を目にするような感じを覚えた。見えない時間の流れを見るようで、なんとも切なく、そして少し怖くもあり……心が揺さぶられ、目がしらが熱くなる。
一方で、被写体の子どもの強く真剣な眼差しに“未来”を感じ、切なくキュンとなった胸に、次に温かいものが流れてくる。
胸がキュンとなったり温かくなったり、泣きそうになったり微笑みそうになったり。感情のカオス。しかし、複雑でぐちゃぐちゃしたものでなく、心地よい混沌さ。

野村佐紀子に驚かされ、胸を動かされるのはもうこれで何度目だろう。しかも、今回の驚きと感動はかなりのビッグウェーブだ。そしてまた、私はますます彼女に魅了される。

e0101090_051579.jpg小さい、というか普通サイズのポラロイド写真作品もあわせて展示されている。奥のバーもとてもいい空間。ここでシャンパン飲みながら、作品をゆっくり鑑賞したい……。

※同時開催でほか市内4カ所にて野村佐紀子の写真集をテーマにした写真展も開催されている。各会場、それぞれのオーナーが気に入った写真集を選び、そのオリジナル写真を展示。野村佐紀子の写真集を巡る展覧会というわけだ。


「instant film」野村佐紀子写真展
2012/3/3~4/7
会場:BAR & WHITE SPACE ONE
詳細はコチラ
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# by kinoppi-cxb | 2012-03-23 00:56 | 展覧会レビュー
展覧会準備が着々と進められていた昨年12月に、企画者の学芸員の竹口さんに取材をさせていただいた。伝統工芸に造詣の深い竹口さんが、「おっ」と思ったという10組の作家たちを紹介するという。「糸の仕事、布の仕事、作品がもつそもそもの魅力だけでなく、作品から滲み出るその人たちの生き方・“いのちの世界”を伝えたい」と、出品交渉はもちろん、彼らのロングインタビューも行なった竹口さんの言葉の一つひとつ、その奥底に熱いものを感じた。「(作家の一人)上原美智子さんの布はとってもとっても薄いんだけども、掌に乗った瞬間、ふわっと温かい。触れることによって関係が開かれる。糸と布って、人間の生に寄り添う力があると思う。その部分を伝えられたら」。こんな話を聞いたら、そりゃおのずと期待は高まるでしょ。

そして開幕後、知人や他メディアからよい評判が伝わってきた。あまり期待しすぎてもよくないな~なんて思いながら会場に向かったのだが、はいゴメンナサイ、その心配はまったくの杞憂でございました。

【以下ネタバレ】
最初に展示されていたのは、竹口さんが説明されていた上原美智子さんの布。「コレハホントニヌノナノカ?」。驚きのあまり、脳内の日本語変換が微妙になる。なんとも繊細な、薄い、薄い、薄い手織りの布。「あげずば織」。「あげずば」とは琉球の言葉で「蜻蛉」を意味するそうだ。その言葉どおり、まさに蜻蛉の羽のように、重量をまったく感じさせない。天井から吊り下げられた作品は、私が歩くだけで「ふぅわ」っと揺らぐ。歩いて生じる空気の振動で揺らぐ、それほどの軽やかさなのだ。俗っぽくて申し訳ないけど、「ハリーポッターの“透明マント”を凌ぐ軽やかさかも」、なんて思ってしまった。とにもかくにも、我々の周りにある「空気の存在」までも伝わってくる。

堀内紀子さんの「編による造形」も、同じように「空気の存在」を感じさせてくれる。こちらは視覚的に。宇宙的な深みをもつ福本潮子さんの藍染、何層にも絵具を塗り重ねた抽象絵画のような志村ふくみさんの重厚なる紬織、もはや手技の域を超えた鈴田滋人さんの木版摺更紗……一人ひとり(組)の作品の感想をあげればきりがない。

展示の仕方によってはその魅力が半減することもあり、逆に作品の真髄がさらに観客へと伝わることもある。今回、美術作家の坂崎隆一さんが会場構成を手掛けたことにより、まさに後者の効果を得ていた。それぞれの作品にすうっと向き合え、じっくりと彼らの手技が堪能でき、魅力が存分に伝わってくる。作品点数はさほど多くないものの、「もっと見てみたいなぁ」と、これから先も出品作家たちへと引き続き興味を持たせる腹八分目の点数は、私にとってはちょうどいい。

各作家たちの略歴と、解説の代わりとなる引用文もぜひじっくりと読んでほしい。簡潔な短い文章にもかかわらず、各々の作家たちがどう作品と向き合っているか(きたか)、また作家たちの人となりまでも感じることができるのだ。彼らのように作品を作ることはできないけれど、その生き様を知ることは、これからの人生の参考になる。そう思った。
展覧会図録には、竹口さんによる各作家のロングインタビューも掲載されている。テープ起しすると各作家およそ20000字あったものを、約5000字に編集しなおしたものだという。こちらを読むと、さらに作家たちの生き様が垣間見られるだろう。読むのが非常に楽しみだ。


「オギャ~」と産まれ、産着を身に着けてから、死ぬまでの長い間、我々人間は布を纏っていきていく。会場に飾られたもののように立派なものはもちろん手に入れることはできないが、折り返しを迎えた我が人生、時々は、気持ちよい・心地よいものを自分の身体に纏ってあげようと思った次第。展覧会「糸の先へ」。糸から、布から、その先へ広がるもの……私がその先にみたものは、広い意味での「人生」だった。ん……? 「糸と布って、人間の生に寄り添う力があると思う」と言っていた竹口さんの思惑に、まんまとはまってしまったわけだな。

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展覧会図録とチラシ。チラシは広げると大判になる。表面の糸を表した線画は、デザイナーの手描きによる渾身の仕事! 裏面には竹口学芸員による1700文字ものテキストが。











糸の先へ
いのちを紡ぐ手、布に染まる世界

2012/2/4~3/11
会場:福岡県立美術館
詳細はコチラ
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# by kinoppi-cxb | 2012-02-24 15:23 | 展覧会レビュー
今年は秋が長かった。時に小春日和な日もありなかなか冬の到来を感じられなかったが、ここ数日で急に冷え込んできた。寒いのはニガテだし、日が暮れるのも早くすぐに暗くなるのも好きではない。が、ピンと張りつめた空気感や、太陽が早く沈むゆえの早い時間からの静寂の始まりは、嫌いではない。暗くなるのが早いと、活動が鈍ったり停止したりする分、冬明けに備えて身体や脳ミソが準備するような感覚になるのが、生き物の本能的な感じがして心地よい。
……という気持ちを漠然と前々からもっていたのだが、今回、武内貴子さんの作品を見て、また話を聞いて合点がいった。

11月20日にアーティスト・トークが開催。武内さんは精力的に作品を制作・発表しているアーティスト。彼女の作品はこれまで何度も見てきたし、本人とも面識があるけれど、実はコンセプトなどきちんと話を聞くのは初めてだった。
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天井から吊り下がる無数の赤い布の「結び目」のレイヤー(層)。少し横から眺めると、下部は半円の弧を描く。毎年12月にやってくる「冬至」と、キリストの誕生日である「12月25日」をテーマにしたという作品。半円の弧は、地平線から半分だけ顔をのぞかせる太陽の形と同じだ。朝日が希望を象徴するのは言わずもがな、武内は夕陽も「陽が沈んだら、明日がやってくる」と未来へ向かうイメージと話す。チラシに書かれている作品の説明によると、冬至は「冬が終わり、春が来ることを告げる日とされている」、そして12月25日は「“一度は闇に覆われかけた世界に再び光が生まれ変わること”を象徴する日」なのだとか。
私の解釈を一言で表すならば「再生」だ。「リセット」と言ってもいいかもしれない。例えば樹が、一年を通して芽を出し、花を咲かせ、実を実らせ、葉を茂らせ、葉を散らせ、そしてまた芽吹く……と毎年リセットしながらその生命のサイクル繰り返し、ある一定の時期まで、強く、たくましく育っていくように、人間も冬の時期にリセットしているのかもしれない。そう感じさせられた。

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無数の布に紛れところどころに赤いリボンが結ばれている。ピシッとした「結び」のなかにある「ほっ」とする「間」。














トークでは、作品の素材とする布に蝋を染み込ませる工程、複数の意味をもつ「結ぶ」という言葉への想いと表現、「結」を基本に展示空間・場所・テーマによって変化を遂げる造形や色……などについて、過去作品とも照らし合わせながら話してくれた。
ちなみに今回の「赤」は、太陽やクリスマスをイメージさせる狙いはあるものの、そもそも彼女が原点から大切にしてきた色でもある。武内さんは、学生時代から着物の帯の「結び」に美を強く感じ、その着物姿の女性をさらに美しくするのが紅の「赤」であり、その色に強く惹かれているという。赤は時には強すぎてえぐくなることもあるが、一方で、冬の寒い今の時期には温かみと生命力を強く感じさせる。また、ファッションビルの中では、空間の演出・彩りにはとても効果的な色だ。

トークの中で、なるほどと思ったエピソード。白い結びの作品を青森で発表したときの話。地元の人は「ボタ雪のよう」と言う人が多かったのに対し、同じ作品を北九州の人が見たときに「素麺を干しているみたい」と言ったそうだ。この事に対し、「土地によって見る人の印象が異なっていた。作品を見るとき、人は自分の経験に重ねるんでしょう」と言った武内さんの解釈に共感した。ちなみに私は彼女の作品を見るたび、神社をイメージする。まぁ、単純におみくじのイメージと結びつけいるんだろうけど……つくづく、日本の国に生まれた人である。日本文化をまったく知らない人と武内さんの作品を一緒に見てみたくなった。

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会場は3~5階の吹き抜け。4階、5階からも作品を眺めてみよう。違う表情を見せてくれる。















九州アートゲート 博多アートステージVol.3
武内貴子

2011/11/18~12/25
会場:アミュプラザ博多3階センターコート(吹き抜け)
詳細はコチラ
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# by kinoppi-cxb | 2011-11-26 00:41 | 展覧会レビュー
今年3月に発行した『九州沖縄アートたずねちゃいマップ』の興奮冷めやらぬまま、Fukuoka Art Tipsが新媒体を制作しました(発行は「九州アートゲート」)!

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これまでの発行物は、折り込んだ1枚のペーパーでしたが、今回はなんと8ページの冊子にグレードアップ!?

9 月9 日(金)からJR 博多シティ(アミュプラザ博多)を会場に<アートきっかけで旅しよう>という趣旨のもと開催される「九州沖縄アジアアート観光ウィーク」に合わせて作成しました。
福岡県、福岡市、佐賀県、長崎県、大分県、熊本県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県、韓国釜山、台湾台北、シンガポールのアートスポット/プロジェクトを、各地の「アート通」のオススメ人さんがご案内! 加えて、各地の観光・グルメ情報などもちびっと紹介してくれてます。

その土地のことはその土地の人に尋ねるのが一番! はっきり言って、Fukuoka Art Tipsメンバーも知らなかった情報が、オススメ人さんたちからどんどこ出てきました。
九州全体のアートシーンを紹介する媒体はこれまでなかっただろうし、さらには沖縄から釜山、台湾、シンガポールまでも紹介エリアに入っているという、それも新鮮なネタ多し!のよくばりな冊子に仕上がりました。
ページ数および紙面スペースの都合上、掲載物件数は限られ、また各物件の紹介文も短いですが、アートの最新情報を知ることのできる、充実の内容になったのではないかと自負しています。

この情報を生き生きと読みやすく楽しく演出してくださったデザイナーOさん、イラストレーターSさんにも感謝です。
そして、今回もまた、鹿児島在住のアーティスト・浦田琴恵さんが制作に関わってくれました。今回は、表紙とオススメ人の似顔絵。制作サイドからは最低限の決まりごとだけをお願いし、あとは自由に描いていただいた表紙の絵は、まさに彼女の作品。楽しく強いインパクトを放ってくれ、すでにお届けした掲載先にも大好評です。

主な配布先は、JR博多シティをはじめ、九州沖縄の掲載スポットや主要美術館などなど。
ぜひ、お手にとってご覧くださいませ。

※弊マップを制作するにあたりご支援・ご協力いただいたみなさま、誠にありがとうございました。
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# by kinoppi-cxb | 2011-09-10 00:13 | インフォメーション
2009年に発行し大好評(!?)いただいた『福岡コンテンポラリーアートマップ2009』から2年。満を持して、Fukuoka Art Tipsが再び、アートマップを作っちゃいました!

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発行は今年の3月1日。
九州新幹線全線開通記念。JR博多シティオープン直前になんとか発行できました。

今回のメインマップは九州全域。
鹿児島在住のアーティスト・浦田琴恵さんが以前作成・発行した『九州・沖縄アートな人々たずねちゃいマップ』がベース。モノクロだったマップを、今回のためにカラーにしていただき、また、発行時期にあわせて情報もちらほら加筆修正していただきました。
手描きが柔らかく温かく、ほっこりした感じのマップ。九州の温度感が伝わってくるところがいいっ。

さらに、裏面に『福岡コンテンポラリーアートマップ2011』が合体。2年前のマップと比べると、ずいぶんアートスポット情報変わってますけん。福岡を訪れるアート好きな皆様、要チェックです。

主な配布先は、JR博多シティをはじめ、九州・福岡のマップ掲載スポット。
詳細はこちらで紹介されてます。
Art Mania Fukuoka

九州・福岡のアートをめぐる旅、このマップ重宝しますぞ。


※弊マップを制作するにあたりご支援・ご協力いただいたみなさま、誠にありがとうございました。
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# by kinoppi-cxb | 2011-03-02 19:38 | インフォメーション

ただいま産休中

過去2回の投稿で、10月に起こった突然の出来事・・・
それは、予定よりも3カ月も早い、出産でした。

私の両手で包みこむことができるほどの、小さな小さな女の子が誕生しました。
小さいけども、大きな生命力。
700グラムにも満たなかったその身体は、4カ月経って、体重は5倍以上になりました!

本当に小さく産まれたんだっけ?
と思うほど、いまは、元気に泣きじゃくっては母を翻弄させている我が娘。
寝不足や、育児トラブルで身体はヘトヘトですが、
出産当時の精神的不安は、払拭しました。

精神的に元気になったし、本業の仕事もお休みしているし、
さぁ、書きたかったブログも更新しよう!
と思ってはいたけど、予想以上に育児は大変。

引き続き、こちらのブログは、牛歩並みのゆっくり更新とさせていただきます。

いつになったら本格的に始動するのか?
とにかくまずはこの育児戦争を乗り越えることが先だ。
ケセラセラ!
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# by kinoppi-cxb | 2011-02-17 19:04 | インフォメーション

沈黙からの離脱、後押し

このブログの主テーマ、アートネタでも旅ネタでもないけども、いま、書いておきたい。

10月18日、昔いた会社P社時代の先輩が亡くなった。
溝口久美さん。

P社でアシスタントとして入社した私は、営業部へと配属された。
溝さんは、その営業部の制作チームとして、2週に1度発行していたタウン誌の台割を管理したり、広告の版下を制作したりしていた。
パソコンいじりやタウン誌の制作に興味をもっていた私に、溝さんは本来、アシスタントがする以上の仕事を私に教えてくれ、与えてくれた。自分が制作に携わったページが印刷物として出来上がったときは、それはもう感動したものだ。
アシスタントを半年経験した後、社員としてP社に採用された。わりと倍率は高かったように聞いた。そんななか私が入社できたのは、溝さんがくれた仕事を、役員が見ていてくれ評価してくれたのもあるだろう。
数年後に退社し、いま、私はフリーの編集者/ライターとして活動している。
溝さんは、いわば、いまの私の原点に大きく関わった人なのである。

溝さんのお通夜と葬儀は、大分の実家でおこなわれた。
元同僚何人かと一緒に、お通夜にうかがった。

前のブログ記事で書いたように、10月に突然起きた出来事になかなか気持ちが対応できず、私はここ1カ月ほど沈黙していた。人に会うのも、必要以外の外出も避けていた。

溝さんのお通夜に出席することで、親しかった人とも再会でき、また近況を自然に伝えることができた。ふっと、肩の力が抜けた。
頑なになっていた私の心が解きほぐれる、そんな機会を溝さんが与えてくれた。
心の弱くなっていた私の背中を押してくれたのだ。
最期の最期まで後輩の面倒見がいいったら、溝さん。


沈黙は、もう立ち去りました。
さて、これまでのように、前を向いて進むことにしよう。
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# by kinoppi-cxb | 2010-11-23 23:51 | インフォメーション

沈黙からの離脱前

9月に北九州・門司を中心に開催された「街じゅうアート」のレビューを書いていた途中で、やんごとなき出来事が訪れ、執筆中断。いまに至る。もはや、そのレビューの続きを書くには、時間が経ちすぎ、そして気力もない。

今年の10月という1カ月は、長くもないが、決して短くもない私の人生において、一番ハードであり、また幸せも訪れたひと月だった。大げさではなく、人生観が変わったと言ってもよい、経験をした。

地元のタウン誌のアートページ制作をきっかけにかかわり始めた、アート。その頃からすでに10数年、1カ月以上もアート展やアート関係のイベントに行かなかったのは、初めてだ。実際、物理的に行けなかったのであるが……。

まだ状態や環境が万全でなく、どうしようか迷った。でも、どうしても見たかったのだ。アートスペース貘で11月6日まで開催されていた「非知なるものの日々 冨永剛×元村正信」展の最終日に駆け込んだ。
冨永の落ち着いた空間の中で、眺める、静謐さと躍動さを兼ね備えた元村の絵画。深く、深く私の胸に染みこんだ。10月のとある経験で、「命」というものに直面した私にとっては、特に元村の絵画から、「生命の誕生」、「生きる」ということ、さらには「死」とうものまで感じ取れ、非常に胸がうたれた。

純粋に彼らの作品、いわゆる「アート」に心が癒された。
仕事を兼ねて作品を見続けると、そういったアートの持つ力を時に忘れてしまう。それを、彼らの作品を見て、改めて思いだすことができたのだ。
そう、アートは、力を持っている。


私自身が沈黙から脱出するには、まだ少し時間がかかりそうだが、いまこそアートに触れたいなぁと心から思う。少しずつ、出かけて行こうかなと、やんわりと思い始めた。
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# by kinoppi-cxb | 2010-11-08 11:55 | インフォメーション